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サボテンとサティ
「Let's SATIE!」
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サボテンとサティ【SABOTEN &SATIE】  宮川いづみ
私が初めてサティを知ったのは20数年前で「スポーツと気晴らし」のピアノ曲集の譜面だった。そして初めてその音を聴いたのは、私自身の演奏するピアノによってで、非常に感動した記憶がある。
その後、何人かの演奏家によるサティを聴く機会があったが、なぜかつまらない。
高橋アキ氏による「スポーツと気晴らし」の演奏は、サティのよりよい理解の方法としての遊びの部分が全くなく、楽しさを無視するかのように「曲」として成立させてしまっている。

結局サティは、自分で演奏し、自分の音を聴き、楽しむのが一番だと実感した。

しかし「スポーツと気晴らし」に関しては、もちろん一人でこっそりピアノで楽しむのもすばらしいが、それを録音して聞き返してみると、やっぱりちょっとつまらない。それは、ピアノという楽器が安易に音楽的なものに成立しやすいからで、それでは、サボテンで演奏したらどうだろうと考えたわけだ。
そして私たちはあくまで演奏者として、何の感慨もなく、且つ、思い入れたっぷりに、時には、音程をリズムに変えたり、キーのないところは破壊しつつ、忠実に再現しようと試みた。
その結果、三者三様の思い入れによるズレと、演奏法(テクニック)によるズレの隙間に、サティを感じることが出来た。

サティはよくその様々な試みから、音を視覚化しようとしたと言われるが、確かに「スポーツと気晴らし」の中にあるウォーターシュートでは、すべり落ちるかのような音符の並びや、書き入れられた言葉は、より具体的なイメージを持たせるためのようでもあり、視覚的ではある。しかし、逆に意図しているものは、どんどん希薄になり、最後には音の響きそのものが残るという考えが、根底にあったのではないかと感じるのだ。
サティは、理解の誤解を意図しつつ、又それを容認しながらも、理解されることを拒否したための、饒舌だったのではないかと想像する。
むしろ、サティの音そのものが一人一人の脳の中のスコアに、リアルにその位置を刻むことができるという点で、より視覚的であり、これは、サボテンの音楽に通じるものがあるのだ。《1/1999》

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